2008.11.08

Toshi Onizuka ラテンジャズソロギターライブ

友人のToshi Onizukaの国分寺クラスタでのライブに行ってまいりました。

良い意味でアメリカナイズされたのか、以前よりジャジーなコードがふんだんに使われ、リズムも切れだけでなくタメも効いていました。彼もギターを叩くのですが、まったく外連味がなく、フラメンコのテクニックに裏打ちされた正統派の叩きという感じ。夜毎のライブで鍛えられたのか、程好いステージトークも慣れた感じで楽しく聴くことができました。惜しむらくはもう少しお客さんを呼びたかった。


これなかった方のために、早くも彼のYouTubeチャネルにアップされているナイスアレンジのベンサメ・ムーチョをご紹介し、CD「Voy Con Fusion」もお勧めしておきます。

こちらはクラスタのライブレポートです。
マスターにも気に入っていただけたようです。

このブログを見てご来場いただいた方も楽しんでいただけたようで、紹介し続けた甲斐がありました。

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2008.10.28

Voy Con Fusion/Toshi Onizuka

片言のスペイン語と僅かな滞在費をもって、彼が単身スペインに渡るのを見送った日から早十数年。スペインで鍛えた正確なコンパスと強靭なリズム、その後渡った米国での夜毎のギグでさらに練り上げられた彼独自の奏法がこの「Voy Con Fusion」に見事に結実しています。音楽的にもフラメンコ、ジャズ、ロック、ヒップホップという素材をナイロン弦ギターで料理したいわば「音楽のシチュー」ともいうべきもので、こだわりをもって長い時間をかけただけあり完成度の高いアルバムです。

鬼塚さんはナイロン弦ギター、ウード、エレクトリックギターを弾いており、打ち込みとパルマも本人の演奏ですが、参加メンバーの豪華さも聴き所です。
#7「Tango De La Tormenta」には、ウエザーリポートのドラマーPeter Erskineの甥でバークレイ音楽院を優秀な成績で卒業した凄腕ベーシストDamian Erskineが参加。#11「Shin Gi Tai」には同ベーシストと2007年のノースウエスト・ベスト・サックスプレイヤーに選ばれたRenato Carantoが参加しています。
その他の曲でも、#6「Blue Bossa」は有名なボサノバ曲をガーナ出身の2人のパーカッショニストとともに12分の8拍子のポリリズムでカバー。#9「Never Mind」はオレゴンのラッパーJay Mackとともに試みたヒップ・ホップとの融合で、後半の掛け合いでは素晴らしいグルーブ感を楽しむことができます。
また、#10「Laura」はスペイン時代の作品で、彼自身の音楽の原点を見つめなおしています。

超絶技巧を駆使したソロ演奏も魅力的なのですが、CDでは、ソロ演奏で出し切れない音を残すよりは、彼のこだわりが音楽の完成度を選んだと想像しています。
ライブではソロとなりますが、それぞれの良さを楽しむことができるとも言えるでしょう。
クラスタ現代ギターショップCDBABYで購入できます。Yahoo Musicでダウンロード購入することもできるようです。

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2008.10.11

Toshi Onizuka(鬼塚仁志)緊急ライブ決定!

Playing8日に府中で仕事があり、ちょうど国分寺クラスタの「とびいりフリーコンサート」でしたのでToshiさんを誘って参加しました。

Toshiさんはオリジナルの3曲タンゴ・デ・ラ・トルメンタ、ウナカルタ・デ・アモール、コスタ・デル・ソルを弾いてくれました。
フラメンコベースの強靭なリズムをベースに、フラットピックを持ちながら弾くラスゲアード、ゴルペ、そしてピックでクラシックギターと同じアルペジオを入れたのトレモロを駆使した演奏で、普通のクラシックギターを弾かれるお客さん達からも喝采を浴びていました。

そこで、急遽クラスタでのライブが決まりました。

鬼塚仁志(Toshi Onizuka)ラテンジャズソロギターライブ

11月2日(日)19:30~

国分寺クラスタ

チャージ2000円

皆さん、彼の音楽を是非聴きに来てください。
CDの即売もあります。

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2008.01.20

アメリカでの活動~Toshi Onizuka回想録

Oregonartbeat1_2このカテゴリは、しばらく書いていませんでしたが、向こうでテレビに出た映像がストリーミングで見れるようなので、最近の活動を書いておこうと思います。

アメリカではにライブハウスでの演奏が活動の中心となっているようです。彼がレギュラーで出演するお店は今では次の3つにまでなっています。
El Gaucho 319 SW Broadway
Andina 1314 NW Glisan
Paragon 1309 NW Hoyt

Oregonartbeat2オレゴンのテレビ番組「Oregon Art Beat」でも紹介されました。
こちらhttp://www.opb.org/programs/artbeat/videos/view/73-Toshi-Onizukaで、ストリーミングを見ることができます。
私なんか何年暮らしても英語が話せるようになる自信はないですが、驚くべきことに、英語でしゃべっています!今まで漠然と感じていた彼のコスモポリタンとしての資質を垣間見るようです。
ポートランドにお出かけの方(あまりいないか)は、ぜひライブハウスへ行ってみてください。

近々新しいCDも出来上がるようです。

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2006.12.23

アメリカへ行きたいか~Toshi Onizuka回想録

Images鬼塚くんのことですから、アメリカがすんなり入れてくれるわけがありません。入国に際してもしっかりエピソードを残してくれました。
日本のパスポートを持っているのに、英語がまったく話せないのにスペイン語が異様にうまい滞在日程のあいまいな東洋人をイミグレーションがすんなり通すわけがありません。今だったら、有無を言わさず国外退去の仕打ちに会うことが想像されますが、比較的治安、政情が安定していた1997年であっても、しっかり怪しまれて別室に通されたようです。

しかし、いつも必ず助けてくれる人が現れるのもまた、彼の凄いところです。イミグレーションにスペイン語が話せる係官がいて、鬼塚自身は人なつこく正直なので、その係官とスペインの話で盛り上がってしまい、すっかり打ち解けたそうです。そして、「好きな彼女にいてもたってもいられず会いにきて、きっと結婚するであろう」ことを話すと、係官は「こいつは大丈夫だ」と他の人たちに言ってくれたそうで、彼女(=現在の奥さん)も迎えに来て事なきを得たということでした。(一部脚色あり)

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2006.11.12

再帰国~アメリカへ~Toshi Onizuka回想録

間が開きましたが、これも粛々と記録しておこうと思います。

1996年に彼はもう一度帰国して、同じ場所でコンサートを開いてくれました。私もボサノバナンバーを弾いたように記憶しています。

1997年末に彼はスペインを後にし、アメリカへ渡ることを前提に帰国します。

その時に、Acoustic Brethの第2集へ参加し、"El Carambolo"を弾いています。この時もすっかり上手くなっており、個人的にはこのCDに入っている録音はソロギターとしての彼のベストテイクのひとつだと思っています。

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2006.07.31

スペイン時代のエピソード~Toshi Onizuka回想録

彼から聞いたスペイン時代のエピソードは本当に面白いものでした。覚えている範囲になりますが、ここに記録しておこうと思います。

・偽札事件

Peseta彼はスペインでパタネグラという、向こうでは名の知れたバンドのメンバーになりました。そのときのギャラをペセタ紙幣でもらい、銀行の窓口で入金しようとしたところ、一部偽札が混じっていることが発覚したそうです。日本でこんなことがあったら、即事件になるところですし、そもそもまともな仕事のギャラに偽札が混じっていることがどうかしてますが、さすがスペインの銀行、窓口の行員さんは「(偽札の一部を指して)これはあきらめるしかないけど、(ほかの一部を指して)これは良くできているから、どこかのお店で使ったら?」と親切に案内してくれたそうです。その後どうしたかは知りません。。。

・特急臨時停車事件

Spain 彼女(確か今の奥さん)とセビリヤから地中海方面(地名失念、確かカディス方向だったと思う)へ旅行するときのこと。特急列車に乗ったのですが、乗る列車を間違えてしまったそうです。本来乗るべき列車は後から来るのですが、とある分岐から別々の方向に行ってしまい、分岐までの間に両方が止まる駅は無く、乗り換えることができません。彼女はこの旅行を楽しみにしていたらしく、列車の中で泣き出してしまったそうです。

ここでまた、日本の常識では考えられない対応が行われます。車掌がかわいそうに思ったのか、本来乗るべき後続の列車に連絡を取って臨時停車の段取りを付け、分岐の手前の小さな駅で停めて降ろしてくれたそうです。分岐の小さな駅では日ごろ停まらない特急が停まるとあって、駅員がおおはりきりで電燈を振り回し、後続列車を停めて、無事乗ることができたということです。

日本だったら、絶対停めないですよね。>JR関係者

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2006.04.30

一時帰国~Toshi Onizuka回想録

私がスペインに訪問した翌年の1995年12月、彼は一時帰国しました。

せっかくの機会だったので、町田にある陶芸店の2階のレンタルスペース(名前は失念)を借りてライブを行ないました。私も前座で共演しましたが、さすがにもう彼の演奏レベルが上がっていてついていくのがやっとで、もう私なんかが一緒に弾くような相手ではなくなっていることを感じ、少し寂しい気もしたものでした。

ちなみにこの時に受付をしてくれたのが、現在の妻となっています。

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2006.02.14

再会~Toshi Onizuka回想録

さて、彼が旅立ってから2年近く経過します。
私は1994年9月に夏休みを利用してスペインの彼を訪問しました。

あの波乱を予感させて旅立って行った鬼塚くんは、驚いたことにすっかりスペインに馴染んでいました。
まず、スペイン語がペラペラです。当時の彼曰く、まだ細かいことはわからないということでしたが、日常生活には不自由していませんでした。夜になると近所の若者たちが家に集まってきてギターに合わせて歌ったり踊ったりと、既に住人になっています。私の滞在中も、彼の当時持っていた車で地中海方面まで連れて行ってもらうなど、おかげで、快適で楽しいスペイン旅行となりました。

肝心のギターの腕も数段上がっていて、特にリズムのキレが日本にいたときとまったく違っていました。彼はスペインに行ってから、先生について習ったわけではなく、毎日のようにバル(バー)に行ってカタコトのスペイン語で「おれ、弾きたい」と言っては飛び入りで演奏していたそうです。そして、家に戻ってから共演した人の弾いていたリズムなどの演奏内容を分析し、自分のものにしていました。

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2006.01.08

そして旅立ち~Toshi Onizuka回想録

久しぶりにOnizuka回想録の続きです。

1993年11月に彼はスペインへ旅立っていきました。
彼にとって初めての外国でいきなり無期限ステイというわけで、自分で決めたことではあるものの、本人も不安だったようです。私は参加できませんでしたが。聞く所によると前日は送別のために集まった友人達と痛飲し、お父さんは歌いだすわ、本人は行く前から「帰りてー」とか言って泣いているはで大変な状態だったそうです。
当日は吐き気をもよおしながら成田まで各駅停車の旅で1時間以上遅れ、私も含め見送りのために成田に集結していた友人達はやきもきして待っていました。しかも、渡航費を浮かすためにスペインで予約して送ってもらったチケットが使えず、その場で友人の助けで航空券を買うという状況で、混乱して出国申請も書けず、いかにも鬼塚くんらしいバタバタとした旅立ちでありました。
もっと言うと、このくらいの状況下に追い込まれないと、彼は旅立つに旅立てなかったんじゃないかと思っています。

このあたりはやや記憶があいまいなので、当時を知る人に補足してもらいたいなあ。

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